福岡高等裁判所 平成4年(う)87号 判決 1992年9月29日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人出雲敏夫提出の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用する(なお、弁護人は、右控訴趣意書の第一点は、事実誤認又は法令の適用の誤りを主張する趣旨である旨釈明した。)。
一 控訴趣意書第一点(事実誤認又は法令の適用の誤りの主張)について
1 所論は、要するに、被告人は、自己の運転するタクシー(普通乗用自動車)の助手席に乗った福間久之の動静について、運転者に通常要求される注意義務を尽くしており、それにもかかわらず、シートベルトを装着しようとしていた福間の手指が車外に出ていたのを認識できなかったのは、被告人にその点についての予見可能性がなかったことによるというべきであるから、原判決が、被告人には、「後部座席の乗客が車内に乗車したのを認めたのみで、助手席に乗車した福間久之の動静を確認しないまま左後部自動ドアを閉めた過失」があった旨認定したのは、事実を誤認したか又は法令の適用を誤ったものである、というのである。
2 本件公訴事実は、「被告人は、平成三年六月二七日午前九時三五分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、北九州市<番地略>付近路上において、乗客三名を乗車させて発進するに当たり、乗客の動静を確認した上で左後部自動ドアを閉めるべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、後部座席の乗客が車内に乗車したのを認めたのみで、助手席に乗車した福間久之(当五三年)の動静を確認しないまま左後部自動ドアを閉めた過失により、左手を左斜め上に伸ばしてシートベルトを持とうとしていた同人の左手環指をドアで挟み付け、よって、同人に加療約六週間を要する左環指末節骨開放骨折等の傷害を負わせたものである。」というものであり、これに対して、被告人及び弁護人は、原審で、被告人には本件事故発生について予見可能性がなく、被告人は注意義務を尽くしているとして、無罪を主張したが、原判決は、本件公訴事実と同一の事実を認定し、業務上過失傷害罪の法令を適用して有罪を言い渡した。
そして、原判決は、「弁護人の主張に対する判断」の項で次のとおり説示している。
被告人には、本件傷害事故発生についての予見可能性がない旨主張するので、この点について判断するに、被告人は、タクシー運転の業務に従事する者であるから自車の自動ドアを閉じる際には、後部座席に乗車する乗客の安全を確認すべきは勿論、助手席に乗車する乗客の安全をも確認すべき業務上の注意義務があるのであって、被告人においては、助手席に乗車する者にはシートベルトを装着する義務があること及びシートベルトの取り付け金具の位置がセンターピラーにあることは当然知悉しているのであるから、助手席の客がシートベルトを装着すること及びその装着に当たっては、乗客の手がセンターピラー付近に伸ばされ右乗客の指が車外に出ることも当然予見できるものというべきであるから、弁護人の主張は採用しない。
3 原審で取り調べた証拠によれば、次の事実が認められる。
被告人は、タクシーの運転手であるが、平成三年六月二七日午前九時三五分ころ、北九州市<番地略>北九州市庁舎前の路上で、自己の運転するタクシー(普通乗用自動車)に福間久之(当時五三歳)ほか二名の客を乗せた。その際、福間が助手席に、その余の二名が後部座席に乗った。被告人は、福間が助手席に乗り込んで着席し助手席側ドアを閉めたこと及びその余の二名も後部座席に乗り込んで着席しその身体を車内に入れ終わったことを確認した後、運転席右側足元にあるレバーにより左後部ドアを閉める操作をした。ところが、たまたまその時、助手席に乗った福間が、シートベルトを装着するため、その金具を掴もうとして、正面を向いた姿勢のまま、左手だけをシートベルトの吊り下げられているセンターピラー辺りに向けて左後ろ斜め上方に伸ばすうち、左後部ドアがまだ開いていたため、福間の左手環指(薬指)がセンターピラーと左後部ドアとの間の隙間からはみ出て、そのドアが閉められるとともに、指がセンターピラーとドアに挟まれて、福間が原判示の傷害を負った。被告人は、左後部ドアを閉める操作をした際、福間が左手を左後ろ斜め上方に伸ばしていることに気付いておらず、同人の指が右隙間からはみ出ていることを全く予想していなかった。また、福間自身も、その指が左後部ドアに挟まれる危険性にまで気付いていなかった。
4 次に、右タクシーの助手席に乗った福間がシートベルトを装着するため、正面を向いた姿勢のまま左手を左後ろ斜め上方に伸ばしたのを、運転席の被告人の位置からどのように見通せるかについて、当審において検証した結果、被告人が、左横を向いて福間の左手を見ようとしても、福間の頸部後側とヘッドレストの隙間からその一部がわずかに見えるだけで、福間の頭部等に妨げられて殆ど見ることができず、被告人が、助手席の前側に身体を乗り出して覗き込むようにすれば、福間の左手を一応見ることができるが、その場合でも、左手の薬指までは見ることができないことが認められる。
5 そこで、被告人の過失の有無を検討する。
本件の場合問題になるのは、タクシーの運転手である被告人が、左後部ドア(自動ドア)を閉めるに当たり、助手席に乗った客の福間の動静について、必要な注意をしたといえるかどうかである。タクシーの運転手には、タクシーに客を乗せた際、左後部ドアを閉めるに当たり、そのドアで後部座席に乗った客の身体を挟む危険性があることは容易に予見できるから、その点に注意すべきは当然のことであるが、助手席に乗った客の身体が左後部ドアに挟まれるような事態は、通常は考えにくいことであるから、被告人が必要な注意をしたといえるかどうかについては、慎重な検討を要する。
前記認定事実によれば、被告人は、助手席に客の福間が乗り込んで着席し助手席側ドアを閉めたこと、及び後部座席にも客が二名乗り込んで着席しその身体を車内に入れ終わったことを確認してから、左後部ドアを閉める操作をしたが、その際、助手席の福間の指がセンターピラーと左後部ドアとの間の隙間からはみ出ていることを予見していなかったことは確かである。したがって、本件の場合、被告人において、福間の指が右隙間からはみ出ていることを予見することが可能であり、予見すべきであったといえるかどうかが問題となるところ、原判決が説示するとおり、「被告人においては、助手席に乗車する者にはシートベルトを装着する義務があること及びシートベルトの取り付け金具の位置がセンターピラーにあることは当然知悉しているのであるから、助手席の客がシートベルトを装着すること及びその装着に当たっては乗客の手がセンターピラー付近に伸ばされ」ることまでは予見することができるといって差支えない。しかし、そのことから更に、原判決が説示するように「右乗客の指が車外に出ることも当然予見でき」、本件事故発生について予見可能性があるといえるかについては、次の事情を併せ考えると、疑問といわざるを得ない。すなわち、
前記のとおり、被告人は、助手席に客の福間が乗り込んで着席し助手席側ドアを閉めたこと、及び後部座席にも客が二名乗り込んで着席しその身体を車内に入れ終わったことを確認してから、左後部ドアを閉める操作をしたのであるから、福間の動静についても一応注意していたといえる。もっとも、その際、被告人は、福間の指がセンターピラーと左後部ドアとの間の隙間からはみ出ていることまでは予見していなかったが、この点について被告人は、運転席から助手席の福間を見ても、その左手は見えないので、それがどこにあるかは確認しなかった旨、原審で供述している(第二回公判・八、一二項、第三回公判・一二項)ところ、前記4の当審における検証の結果は、運転席から助手席の福間を見てもその左手は見えないという被告人の供述を裏付けるものである。しかも、福間は、乗車して助手席に座った後、正面を向いたまま、左手を左後ろ斜め上方に伸ばしていただけであったので、運転席の被告人からは、通常の乗客の場合と比べて格別変わったところがあるようには見えなかったといえる。右のような被告人の供述及び検証の結果により認められる見通し状況並びに当時の福間の姿勢からすれば、被告人において、福間の指が左後部ドアに挟まれる危険性を予見することは容易でなかったといえる。
加えて、被告人は、助手席に乗った客の指が後部ドアに挟まれるような事故は、それまで聞いたことがなく、そのような事故があり得ることを心配したことはなかった旨、当審で供述している(第二回公判・一三、一四項)ところ、右のような事故がこれまであったとの証拠は提出されていないし、そのような事故は稀なことであろうから、右供述は信用してよいと考えられる。そうすると、そのような事故は被告人がそれまで聞いたことがない程稀なことであったといえるが、右状況も、前記の見通し状況と相俟って、被告人において福間の指が左後部ドアに挟まれる危険性を予見することを困難にさせたものと考えられる。
更に、助手席に乗った客が幼児などであればともかく、福間のような一般の成人の場合は、乗客自身が注意しておれば、その指がセンターピラーと左後部ドアとの間の隙間からはみ出てドアに挟まれるという事故の発生は容易に防げることであるし、通常は乗客の方でその程度の注意はしていると考えられるから、被告人において、福間の指が右隙間からはみ出ていることを予見せず前記のような事故があり得ることを心配しなかったことには、無理からぬものがあるといえる。
以上の事情を併せ考えると、助手席に乗った客が幼児などではない本件の場合においては、被告人が、左後部ドアを閉める際、助手席の福間の指を挟む危険のあることを予見することはできなかったものと認めるのが相当である。
検察官は、「本件車両は、左後部ドアを開けると、そのドアとセンターピラーとの間に隙間ができるが、助手席に乗った客が左手を左後方に伸ばした場合、その手は容易にその隙間から出る可能性がある構造になっている。他方、助手席に乗客が座っている場合、右隙間は、運転席から死角になっているけれども、被告人は、タクシー運転手として、本件車両を毎日運転していて、死角となる右箇所に隙間ができることを認識していたはずであるから、左後部ドアを閉める際、法規に従ってシートベルトを装着しようとする助手席の乗客の手指が右隙間から出ていてこれを挟む危険のあることを予見することが可能であり、予見すべきであった。」旨主張する。
確かに、当審における検証の結果によれば、左後部ドアが開いた状態で、助手席に乗った客が、左手を左後方に伸ばせば、センターピラーと左後部ドアとの間の隙間から、容易に左手指がはみ出ることが認められ、また、被告人は、タクシー運転手として、本件車両を毎日運転していて、死角となる右箇所に隙間ができることを認識していたはずであるということもできる。しかし、助手席に乗った客が、シートベルトを装着しようとしてその左手を左後方に伸ばすのは、センターピラーの内側に吊り下げられているシートベルトを掴もうとするのであるから、その乗客が少し注意すれば、センターピラーと左後部ドアとの間の隙間からその手指がはみ出てドアに挟まれるという事故の発生は容易に防げることであるし、通常は乗客の方でその程度の注意はしていると考えられること、しかも、そのような事故は被告人がそれまで聞いたことがない程稀なことであったという状況もあったことに照らすと、助手席の乗客の手指が右隙間からはみ出ていてドアでこれを挟む危険のあることを予見することが可能であったと認めるのは困難であるから、検察官の右主張は採用できない。
してみると、被告人は、左後部ドアを閉める操作をした際、本件のような事故の発生を念頭に置いた注意をしていないが、被告人には本件事故の発生について予見可能性がなかったというべきであるから、福間が助手席に乗り込んで着席したことなどを確認してから左後部ドアを閉めたことをもって、タクシー運転手として必要な注意はしたものというべきであり、被告人には、左後部ドアを閉めるに当たり、助手席に乗った客である福間の動静確認を怠った過失があるということはできない。なお、被告人及び証人福間の原審各供述によれば、被告人は、左後部ドアを閉めるに当たり、これを閉める旨予告しなかったものと窺われるが、被告人の当審供述によれば、右予告は、一般に後部座席の乗客に対するものと考えられていて、助手席の乗客に対するものとは考えられていなかったとみられるから、右予告をしていないからといって、助手席の福間に対する関係で注意義務違反になるとはいえない。そして、他に被告人に注意義務違反があったとも認められないから、本件事故について被告人に過失があったとはいえない。
6 そうすると、原判決が、被告人には本件事故の発生について予見可能性があったと判断して、前記のとおりの過失を肯認したのは、注意義務に関する法令の解釈適用を誤ったものであり、これが判決に影響を及ぼすものであることは明らかである。論旨は理由がある。
二 それで、その余の控訴趣意(量刑不当の主張)に対する判断をすることなく、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に次にとおり判決する。
本件公訴事実は前記のとおりであるが、前示のとおり、これについて犯罪の証明がないから、刑訴法三三六条後段により被告人に対し無罪の言渡しをする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官雑賀飛龍 裁判官濱﨑裕 裁判官川口宰護)